当実践記をご覧いただき、ありがとうございます。
こちらのブログでは、アフィリエイトの中でもGoogleアドセンスで稼ぐことを目標とし、そのために実践している事や結果の記録などを公開しています。
ここからは私、木曜日の自己紹介と、Googleアドセンスを始めることになった経緯のお話です。
木曜日のヒストリー
私は1986年生まれの女性。独身。
今は派遣社員やってます。
高校卒業後は一浪して偏差値のあまり高くない大学に入学。
大学時代は課題に追われつつもmixiにドはまりし、長い日記を書いては「長い」とか「面白い」とかクレームや嬉しい感想やらいただくのが楽しかったです。
でも実生活のほうはあまり充実してはおらず、色々なコンプレックスで自己肯定感も低くてネガティブでせっかく仲良くなった友達にも嫉妬して意地悪しちゃって結局疎遠になったりするような酷い人間でした。
その頃、興味本位で始めたアメブロで実生活やmixiでは言えない愚痴や嫉妬心や恥ずかしい部分などを書いていたら、それがひょんな事から同じ学科の人みんなに知れてしまい、地獄を見ました。
当時は就職活動も始まっている頃だったのですが、元々身が入らなかったのに追い打ちをかけるかのようなこの事件で私はすっかりへこたれてしまい(自業自得なんですがね)、就職活動もせず、当然ながら内定も0のまま、卒業。
2010年、何も希望がないまま卒業
当時はリーマンショックの影響をもろに受けていた時代だったのもあり、内定が0のまま卒業した大学生は多くいました。
元々やりたい仕事があって選んだ学部・学科ではありましたが、入学して学んでいくうちにその仕事への情熱は冷めていき、やりたい事が何も見つからず、ひとまず在学時代から続けていた飲食店のバイトをそのまま卒業後も継続しながら就職活動する事に。
卒業間際に「経理」という職種がある事を知り、経理ならどんな会社にも必ず存在する業務だから潰しがきくだろうという考えで、バイトをしながら、就活をしながら、簿記の勉強を始めました。
就活の面接では、態度の悪い面接官とか挨拶しない目も見ない社長とか給与全て込みで15万?!とか残業代出ないの?!とか年間休日88日?!とか、そういう人や待遇にびっくりする事が多かった記憶があります。笑
今でこそ「ブラック企業」という言葉が普通に社会に浸透していますが、当時ってまだまだそんな言葉は有名じゃなかったんですよね。
私たちのような第二新卒やフリーターといった、社会的に弱い立場の人間は、与えられた環境でひたすら耐えて頑張る道しか用意されていないように感じていました。
それがどんなにひどい待遇であっても。
そんな2011年3月、通っていたハローワークでいつものように気になった求人を紹介してもらおうと窓口で担当の方と話していた時に「経理職を希望なら」ということで、職業訓練を紹介されました。
職業訓練には色々な種類がありますが、私が紹介されたのは、2011年4月~8月の開講期間中に日商簿記3級の取得を目指す(あわよくば就職も)というものでした。
独学での簿記試験合格に限界を感じていた私にとっては魅力的だったので、申し込むことに。
申し込む書類をそろえ、バイト帰りにハローワークに寄って書類を出しに行こうとしていたときに東関東大震災が起き、一時はバイトも自宅待機となってしまいましたが、どうにか再開。職業訓練も予定通り無事に開講しました。
私は平日は職業訓練、土日はバイトで就活は一旦休止というスタイルに変更。
開講中に日商簿記3級も取得し、9月にネットショップ運営会社から内定をもらいました。
ブラック企業を渡り歩く時代のはじまり~自分の適性を知る~
翌月の10月から働き始めたのですが、面接で説明された事と実際の仕事内容が大きく異なっていたり、社会保険に加入していなかったり、人間関係もひどかったりと散々な会社であることが判明し、12月で退職。笑
でも運良く無職期間は1ヶ月で済み、2012年1月末、自宅から近い会社から採用の連絡が。
経理事務職で社会保険にも加入してもらえましたが、社員ではなく時給900円のパート。
それでもほぼ第二新卒の私には「修行させてもらえる!ありがたい!」という気持ちでいっぱいでした。(ポジティブ)
いざ経理事務として働き始め、最初はとても楽しかったです。
ただ、経理以外の仕事が多すぎる上に、その仕事内容が私の苦手な事ばかりだったのです。
・小売店だったので電話でのお客様応対
・来客応対(お茶出し)
・社員へのお茶出し(10時と15時)
・掃除洗濯洗い物
・会長の小間使い
きっと、そんなに大きくない会社の事務員ならこのあたりの仕事はやらされることが多いんじゃないかと思います。
でも当時25歳で社会人経験もほとんどなかった私には、何もわかっていませんでしたw
小売店なので個人のお客さんがほとんどだったのですが、みんな癖が強い方たちばっかりで、活舌が悪くて電話口で何言ってるのか聞き取れなくて聞き返して怒鳴られたり電話切られたりクレーム入れられたりする事もありました。笑
事務員は私の他にもう一人いて、私より7歳上の女性。
当然私なんかより社会人経験も豊富で、この会社に来る前はコールセンターでリーダーを務めていたほどの電話プロ。
いつもにこやかで明るいキャラクターなのが社内外問わず評判が良く、正反対の私はこの先輩と比較されて嫌な思いをよくしていたもんですwww
社員さんから「木曜日さんも先輩さんを目指してがんばって」と言われたときは、一番悲しかったですね。自分のすべてを否定されたような気がして。
社長会長も、人当たりの良さを重視するタイプの人間だったので、私の時給は全然上がらなかったです。
一方、明るい先輩の時給はどんどん上昇。
ここでも自己肯定感がどんどん下がっていっていましたね。
先輩のようにふるまえば、時給は上がるし社内外の評判も良くなる。
でもね、「明るく」「にこやかに」「愛想よく」っていうのが、おそろしく不得意だったんです。
やろうとしても、上手く出来ないし、頑張っても「出来てない」って言われるし、出来てないのに頑張っている分ものすごく疲れる。
今思えば、電話以外の事務処理能力では先輩よりも優れている部分もあったはずなんですが、そういうところは全く評価対象にはなっていませんでした。
いかに気配りが出来るか。
いかに愛想よくお客さんをもてなせるか。
そこがこの会社での一番の評価ポイントのようでした。
そういったスキルは私なりに先輩を模倣しながら少しずつ体得してきたつもりではありましたが、上層部の評価水準には達していなかった。
そういう境遇で3年ほど過ごしたある時、ついに貯金が底を尽きました。
実家暮らしとはいえ、マイカー所有が必須の田舎町で手取り10万前後だったので、普段節約していてもちょっと貯まった頃に保険料支払いやタイヤ交換やら自動車税やら車検やらの支払いが来てしまえば、あっという間に貯金はなくなってしまうんですよね。
パートなので当然ボーナスもありません。
…いや、正確にはあった?のか?
実は社員にボーナスが支払われるとき、パートにはビール券(夏)と商品券(冬)が配られていました。数枚ですけど。笑
当時は「もらえるだけありがたい」と思うようにしていたけれど、今思えばものすごく舐められていたなと思わなくもないwww
もっとも、社員のボーナス代でさえ「ボーナス」というよりは「寸志」っていう金額でしたからね。笑
忘年会だって自腹で参加者に支払わせるようなケチな会社ということです。
話を戻しますが、貯金が底を尽きてしまった上に他にお金のあてがあるわけではない自分の生活をどうにかしなければ!!でもどうすれば?!てかこの会社変じゃない?!給与低すぎるし上がらないし社長はバカ(失礼)だし会長(社長の母)はヨボヨボだし先輩は不倫してるしみんな容認しているし客の癖は強すぎるし私は一切評価されないし!!よし辞めようもっと私を評価してくれる会社があるはずだ!!!!!
というわけで、2016年より転職活動スタート。
…の前に、1ヶ月だけ新聞配達のバイトを掛け持ちしましたが、続きませんでした。笑
新聞配達はほんとにブラックでしたね~、稼働時間は要領悪くても4時間くらいで終わらせられましたが、休刊日しか休めませんでしたからね。無理無理。
これでもしうまく掛け持ち出来ていたら、転職活動はしなかったかもしれませんね。
転職活動は2012年ぶりでしたが、色々と変わったようで変わっていない、相変わらず雇う側が強くて、雇われる側が、弱い。
態度が悪い面接官ってたくさんいるんですね。
こっちだって取り繕っているんだからそっちも最低限取り繕えよ、などと思ったりしながらパート帰りに電車に飛び乗って面接する日々。
そして2012年にはまだあまり見かけなかった、「給与:〇〇万円(月〇時間の残業代含む)」という文言。
当時はあまり気にしていなかったんですが、つまり月〇時間まではサービス残業って事ですよね。
そういう書き方するということは、残業がある程度発生する事が免れないという事を暗に示しているんでしょうから。
それでも果敢に応募して、あっけなくフラれていました。笑
第一印象が良くないんだろうな~と頭ではわかっていても、なんかもう色々考えるのが面倒になっていたのは事実です。
私ってそんなに無能だったかな?
愛想はないけど事務処理能力は速くて正確だって上司から評価された事もあったんだけどな?
面接だと自分の良さやアピールポイントが全然伝えられなかったですね。
2016年夏:ようやくアフィリエイトに出会う
当時勤めていた会社の閑散期。
あまりにも暇な勤務時間。
やる事がないと、脳は余計な事を悪い方向へ考えてしまいがち。
その時も、口には出さなかったものの心の中ではお金がない事を嘆いていて、嘆き交じりに目の前のパソコンの検索フォームに「お金がない」だか「お金が欲しくてたまらない」だか入力して検索ボタン押してしまいました。笑
就活も全然上手く行かなくて、交通費ばかりがかさんで本当にピンチだったんだと思います。
すると、検索結果のトップに小雪さんというアフィリエイターのサイトが。
素敵なタイトルに惹かれて、小雪さんのサイトをあれこれ読み進めていき、久しぶりに心がワクワクしたのを覚えています。
そのときまで「アフィリエイト」という言葉自体は聞いた事こそあったものの、それが何なのかまでは知りませんでした。
私がその時に辿り着いた小雪さんのサイトには、アフィリエイトというのがどういう仕事なのかが丁寧に書かれてあり、更に小雪さん自身もアフィリエイトで稼いでいるアフィリエイターだという事をその場で理解しました。
パソコン一つで仕事出来て、仕組みがうまく作れればネット上でお金が稼げる。
小学校の頃からパソコンをいじり倒していた私にとっては魅力しか感じない仕事!
なぜ今の今までアフィリエイトという言葉に興味を持たなかったのか!!自分のバカ!!!(ノД`)
などと思いつつ、ひとまず小雪さんのメルマガを購読しはじめます。
それからほどなくしてブロガーズなるスクールの宣伝が始まったのですが、約10万という高額におののき、そんな手持ちもなかったのでスルー。
代わりに点穴という18禁アフィリエイトの教材を買うも、情熱が維持できず脱落。
実生活の方では、2016年9月に内定をもらえたので退職。
さんざん私に低評価を下してきた会長から「せっかくここまで育てたと思ったのに」などと文句を言われ、会社にやってきた銀行員との談笑中にも私の退職の件を聞こえよがしに愚痴ってくるなどの嫌み攻撃を受けましたが、得意の無表情でスルーしました。バーカ。
新しい職場は、これまた壮絶なるブラックでした。
面接で聞いた事と実際が何も一致していませんでした。
親族経営で、経営会議で社長、社長夫人、息子、息子嫁が集まった時は必ず怒鳴り合いの末に息子が勝手に部屋を飛び出していき、「収束」ではなく「決裂」で会議が終わるスタイル。
息子嫁以外は、みんなすぐに怒鳴る。
指示内容がすぐに二転三転する。
社長、息子、夫人、それぞれがてんでバラバラな指示を出してくる。
役に立たないと判断したら、その社員はすぐにクビ。あるいはハラスメントをして退職に追いやるスタイル。
ただ救いだったのは、私は社長からそれなりの評価をいただけていたという事。
相変わらず無愛想でしたが、ここの社長からの評価は「無愛想だが、信頼はできる」というものでした。
固定給と言われていたのに実際は時給だった事は腹立だしかったものの、私は入社後半年程度でありながら、当時いたスタッフの中で上から2番目の時給で働かせてもらえていました。(経理なのでみんなの給与明細がわかってしまうw)
経営者が従業員に求めるものは何なのか?
これは会社によって本当に違うものなんだなと感じました。
おまけにボーナスももらえた頃、タイミング良く小雪さんのメルマガで再び募集が始まったブロガーズ。
ブロガーズとは、桜子さんというアフィリエイターが運営するGoogleアドセンス塾。
独自ドメインのブログの立ち上げ方から記事の作成方法までをはじめからていねいにわかりやすく教えてくれる塾です。
ブログやサイトにPVさえ集められれば稼げるので、Googleアドセンスはアフィリエイト初心者でも稼ぎやすいと言われるジャンル。
ブログには学生時代に地獄を見たトラウマがあって抵抗があったものの、同時にmixiに長々と日記を書いてみんなに読んでもらえていたことが嬉しかったなぁという楽しい記憶も蘇り、あれだけの文字数書けていたのなら、それを仕事にも転換できるのでは?という考えが浮かびます。
意を決して人生で初めてもらえたボーナスを使って2017年の2月に申し込み、現在も在籍中。
日中は会社で仕事をして、夜にブログ記事を書く生活が始まりました。
思うように書けない記事
最初の3ヶ月くらいは頑張って記事を書いていたものの、思うように増えないPVと報酬にモチベーションがだんだんと削られていきます。
それに加えて私生活でも色々あって、記事を書く元気がなくなってしまい、ブログから遠ざかってしまう事に。
その頃、実生活の仕事は。
上層部から無茶ぶり同然でぶっこまれてくる仕事を淡々とこなすうちに、私はいつの間にか「オールマイティにこなせる人」みたいなポジションになっていました。
その無茶ぶり仕事の中には、前の職場でも苦手としていた接客があり、相変わらず職場が変わっても苦手でした。
でも、上層部にはそこまで不得意でもないように見えていたらしく、どんどん接客の比率は増やされ、しまいには繁忙期の特別編成においての接客チームを束ねるポジションにされてしまいました。
それは、経理として入社した自分には非常に心外で納得のいく編成ではありませんでした。
社内で「出来ない人」扱いされている人は、その特別編成で一番暇なポジションになっていました。
きっと、繁忙期が終わった後のボーナスで差が出るのだろうとは思ったものの、、、
私はこの特別編成が発表されたとき、またしても転職の必要があるなと思ったのでした。
ちなみに2017年秋当時、アドセンスブログは完全に放置していました。
報酬は月数百円だったと思います。
転職して派遣社員になる
とにかく特別編成の稼働が始まる年明け前に転職しなければ!!という思いから、もう正社員とか経理職とかこだわってらんねー!もう経理は堪能したから経理じゃなくてもいい!!とにかく年内に転職!!!
という強い気持ちだけで転職活動開始。
でも時は11月。
年内に転職を決めるためには、どうするのが一番早い?
そう思いながらインディードを眺めていたところ、理系専門の派遣求人を扱う会社がある事を知りました。
私そういえば理系だわ。(おい)
色々求人を見てみると、大学の研究室や工場の品質管理部門などへの派遣が多く、接客や電話応対を苦手としていた私には相性が良さそうに思えました。
速攻で派遣登録の申し込み。
今まで何社か派遣会社に登録したことはありましたが、登録したっきり全く求人を紹介してくれない会社がほとんどでした。
それが今回は次から次へと求人を紹介してくれ、面接して落とされても落ち込む間もなくすぐ次の求人を紹介してくれたので活動がはかどりました。
そして12月中旬、1社から就業オファーをもらい、今いる会社を退職することになりました。
転職したらブロガー人生にも転機が!
新しい職場での新しい仕事は最初はわけわからん状態でしたが、人と環境に恵まれて、今でも継続して働かせてもらっています。
ボーナスは出ませんが時給は私史上、過去最高額。
実家にいたのでどんどん貯金が貯まっていきます。
そこで職場がちょっと遠かったのもあり、長年の夢だった一人暮らしに挑戦。
しかし、実家暮らしでは出来た貯金が、一人暮らしになったとたんにカツカツwww
一人暮らしはそれ以外にも地味な苦労がたくさん。
ネットショッピングしても受け取ってくれる人が家にいない。
隣人の音が気になる。
食べる人がいないから、食材を腐らせてしまう。
漠然とした心細さ。
もちろんそれ以上に楽しみもたくさんあるので実家に出戻る気は今のところないですけどね!
そんな仕事と生活に追われていた頃、ついに草薙悠さんというアフィリエイターに出会います。
草薙さんを知ったきっかけは、ブロガーズを通じて知り合った人の中で「FAAPで勉強して外注化したら15万稼げるようになった」という証言をしたCさんという人がいて、そのCさんがメルマガも始めたというので登録してみたのがはじまり。
Cさんはもうメルマガも来なくなっちゃったので消息不明なんですが(笑)、まだメルマガがガンガン届いていた頃に草薙さんのFAAPを紹介していたんですね。
そして、Cさんがそこまでごり押しするのならと、草薙悠さんのフルオートメーション戦略ブログ構築プログラム(FAAP)という教材を買います。
ついにブログ外注化がスタートしました。
FAAPを現在も実践中!
2019年から始めたブログ外注化。
差別化が出来るようにと、ブログをもう一つ立ち上げて、外注さんに書いてもらった記事だけで構成するブログとしました。
最初の1年は泣けてくるほどPV伸びなくてがっかりしていたんですが、2年目を迎える頃に急に伸び始めました。
その頃は、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発令されたあたりだったので、思うように活動できなくなってしまった人たちが暇つぶしにネット検索してPVが増えているのかなーと思っていたのですが、緊急事態宣言解除後も、PVはゆるやかに上昇中。
FAAPはちゃんと実践すれば稼げるみたいだよ、まだ大金は稼げていないけどね。というのが、現時点での私の所感です。
このブログではGoogleアドセンスブログで得た報酬を赤裸々に、でも淡々と記録していきます。
興味が湧いた方は見てみてね。